愛駕。
魂の名において凌駕すること
これを
愛駕と名をつけた。
人の身であり
人の器を測り得なくなった時
人は人の物差しを凌駕し
愛駕なし得る。
本望に向かう時
人は人の意見を必要ではなくなる。
それは
腹から聴こえてくる声に
自らの声の響きを感じ
信頼し合えたからこそ。
道理ではなく必然であるとき
心では計り知れないことが起こる。
凌駕するには
人の物差しなどいらぬ。
それこそ愛駕することで
自然と身につき
人は道理をこう呼ぶ
儚き人生の道筋にただの名を置きたいものの名残り
生きる様を見極める前に通る道
道理。
私は思う
人の道理で自らの人生を投げうってはならぬ
答えこそ出ぬなら先へと進め
魂の約束事ある方は
二度と迷ってはならぬ。
儚き人生に時を刻むは生涯短く
携え事を願うなら
どうか
腹わた生きて語っておくれ
有り余る愛と
限りある肉体と
合間って人は生きる。
この身を成熟と呼ぶには命尽きるまでなかろう。
絶えず人を見人を愛し
愛されたことを感じ私は生きる。
愛駕。
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